池田晶子「さよならソクラテス」無知の知
最近は哲学にハマり込み、独りで考える時間が多くなった。
哲学と聞くと世間では堅苦しいイメージがあるかもしれないが、池田晶子さんの書く哲学は、分かり易い文章で深く考えてしまうものばかりだ。
その中でも「ソクラテス」シリーズが面白いので紹介する。
まずはシリーズ一部作「帰ってきたソクラテス」から。
人は生きていたいと思うのは、死ぬのが怖いからなんだ。死ぬことは生きることよりよくないことだと知っていると思っているのだ。しかし、死ぬことは生きることよりよくないことではないかもしれないのだ。いや、ひょっとしたら、死ぬことは生きることよりよいことかもしれないのだ。だとしたら、それでも人は死ぬのを望まないものだろうか。
生きていることも死んでいることも、そのことがどういうことなのかさっぱりわからんというのに、わからんものをなんで選べるのだ、権利にすることができるのだ。生きることを権利にするのは、生きることが死ぬことよりよいと思ったからで、死ぬことを権利にするのは、死ぬことが生きることよりよいと思ったからだろう。本当はどっちがよいことなのだ。人はどっちを権利にするべきなのだ。
生きること、生きていたいことを権利とする基本的人権と、死ぬこと、死にたいことを権利とする尊厳死があるが、生きることと死ぬこと、どちらに価値があるのかわからない。ただ「わからないということ」がわかる。ここに着目してほしい。
続いて二部作「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」
クサンチッペ
あたしの価値がわかんないような男は、しょせんそれだけの男なのさ。
評価するのは最後の最後まであたしの方だ。間違っても逆はないよ...
死ぬときゃいつだって死んでやるよ。死ぬのが恐くて生きてなんかられるかってんだ。あんたらとは最初っから覚悟が違うんだよ。
死を恐れることなく果敢にフェミニストに対し啖呵を切る彼女の言葉はとても魅力的だ。この本でもソクラテスは普段人が恐いと感じる「死」について述べている。
皆、自分が死ぬということを知らなすぎるね。...しかし、知らんことを知ってるのと、知らんことも知らんってのは、やっぱり全然違うことでね。何が違うって、生き方の構えが歴然と違う。
僕は、死とは生がそれに対して何らかの態度を取るべき何かであるのかどうかを知らないからだ。それを知らないということを、明らかに知っているからだ。
本当は、わからないから恐がないはずなんだけどねえ。
死をわかるわかり方はないとわかっとらんから、
わからん死をわかろうとしてわからなくなっているんだね。
必ず我々に訪れる「死」、それが「わからない」から恐いものと感じてしまいがちだが、二人はそれを恐れることはない。
その具体的な理由についは三部作「さよならソクラテス」にある「ソクラテスの弁明」にはっきりと書かれていた。
僕は、いかなる場合であれ、死を恐れたことがない。
なぜなら、いいかね、
死を恐れるということこそ、
人間の無知のうちの最大の無知、
すなわち
自ら知らないものを
知っていると思い為すことに他ならないからだ。
死はひょっとしたら、最大に善いものかもしれないのに、
人はそれを最大の害悪であることを知っているかのように恐れるのだ。
けれども僕は死を知らない。
知らないということを、はっきりと知っている。
ゆえに僕は、死を恐れることなく、正を知ることを欲するのだ。
武井壮さんが「ソクラテスの弁明」で無知の知を通して感動を受けたことをテレビを見て知ったが、その理由がより深く理解出来る言葉だった。
このように池田さんの書くソクラテスシリーズでは無知の知以外にも、人間としての本来の生き方についてや、社会に対する考え方をばっさり斬るような言葉が数多くあり、いつの時代も変わらない普遍的な真理を教えてくれる。
死を恐れない精神だけが、動物的本能から完全に自由である。
人はウソに弱いのだ。ウソやウソのことを言う人を好んで、本当のことや、 本当のことを言う人を怖れるのだ。なぜ怖れるかって、自分のウソを知っているからだ。自分がウソを言い、ウソを生きていることを知っているから、本当のことを知るのを怖れるのだ。
僕らが誰か人を信頼するのは、その人の考えがその人の生き方を裏切らず、その人の生き方がその人の考えを示している、そういう時だけだ。
他人を否定することでしか自分を語れんようなやつは、どうせ語れるような自分なんかありゃせんのだ。そんなのにかかずらう(関わりを持つ)のは大事な時間を無駄にする。ほっといて、君は君の信条を貫きたまえ。
人が生きる意味と価値とは、精神性すなわち真善美の追求であることを疑ったことがない。
まだまだあるのだが、これらの言葉はぜひ本を買って自分で考えて見て欲しい。
正義だ。正義のためだ。正しく生き、正しい人となるために、
僕らには哲学が必要なのだ。
クサンチッペ
哲学なんて、あたしはどーでもいいんだ。
だけどさ、こういうのが哲学だっていうんなら、こんなの、
ぜんぜん当たり前のことでないの。
参考文献
[1] "帰ってきたソクラテス", 池田晶子, 新潮文庫, 2002.
[2] "ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け",池田晶子, 新潮文庫, 2002.
[3] "さよならソクラテス", 池田晶子, 新潮文庫, 2004.