ATFL’s diary

文学や哲学の本について紹介します。疲れたときには形而上、死後へ帰る時間 

村上春樹「沈黙」から思う 深みについて

 

初のブログ投稿。基本的に私の好きな文学作品について書いていきたい。

要約をして自分の考え方を述べるためネタバレ注意

 

村上春樹「沈黙」の要約

 新潟までの飛行機を待つまでの時間、僕は今でもボクシングジムに通っている大沢さんに、「これまでに喧嘩をして誰かを殴ったことがあるか」と訪ねる。共に仕事をする仲で、誠実で温厚な大沢さんは、僕の質問を聞くと鋭い視線を向けるが、しばらく沈黙した後、一度だけ人を殴ったことがあると話す。そしておもむろに話を始める。

 

 大沢さんは中学二年生の時、同級生の青木という男を殴った。青木は勉強、スポーツともに成績優秀で、クラスのみんなから人目置かれる存在だった。対照的に大沢さんはクラスでは目立たない人で、叔父さんに勧められたボクシングジムに通い、クラスの生徒よりか、ボクシングジムで出会う人々との交流が盛んだった。ある日、大沢さんは猛勉強して期末試験の英語のテストで一番を取る。今まで一番を取り続けた青木はショックを受け、大沢さんがカンニングをした、という噂を広め、大沢さんは頭にくる。そして昼休みに青木を人気のないところへ連れ出し、左の頬にストレートを打ち込む。その後青木は大沢さんのことを無視する。クラスが変わり、青木と大沢さんはできるだけ顔を合わせないようにしていたが、陰で青木は復讐を企む。高校三年になり、また大沢さんは青木と同じクラスになる。(学校は中高一貫校

 

 高校最後の夏休みに、クラスにいる一人「松本」という生徒が地下鉄に飛び込み自殺をする。生徒の松本は、学校で誰かに殴られていたらしく、それを青木はかつて自分を殴った大沢さんが犯人ではないか彼はボクシングジムに通っていると教師に話し、警察沙汰になるほど、大沢さんは疑いをかけられる。クラスの生徒や教師からも冷たい目で見られ、孤立していた大沢さんは、高校残りの半年を黙って耐えていた。

 

 大沢さんは孤独に耐えていた中、通学中に電車で青木と向かいあう状態で顔を合わせる。青木は冷笑するような目で大沢さんを見つめていたが、大沢さんには彼を憎む感情は出ず、悲しみや憐れみに近い気持ちを抱く。それから大沢さんは立ち直り、残りの学校生活を耐えながら過ごし、九州の大学へ入る。ここまでが大沢さんの話だ。

 

本当の喜びや勝ち誇り

 大沢さんが電車の中で青木と向かい合った時の感情、ここが精神的な成長、情操の育成における文学作品の重要性であると考える。本文にはこう書かれている。

 

もちろん僕は青木に対して腹を立てていました。時には殺したいくらい憎んでいました。でもその時、電車の中で僕が感じたのはもっと静かな感情でした。それは怒りとか憎しみよりかは、むしろ悲しみとか憐れみに近いものでした。本当にこの程度のことで人が得意になれたり、勝ち誇ったりできるのか、これくらいのことでこの男は本当に満足し、喜んでいるのだろうか、と僕は思いました。そう思うと、僕はむしろ深い悲しみを感じたんです。この男には本物の喜びや本物の誇りというようなものは永遠に理解できないだろうと僕は思いました。ある種の人間の心には深みというものが決定的に欠けているのです。僕は自分に深みがあると言っているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそんなものはありません。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには重要なものは何もありません何の意味もないのです

  

 相手を馬鹿にしたり、自分が相手より優位であることを感じて優越感に浸るような者は、その喜びや勝ち誇りの蓋を開けてみても空っぽで意味がない。形骸化している。

 

 大沢さんのようにボクシングジムに通い練習をする、それ以外にも勉強をコツコツと続けて、その結果、良い成績が取れたり、良い結果が出た時の喜びや勝ち誇りは、蓋を開けてみると、そこには努力を続けた、やり込んできたという深い意味があると思う。

 

 大沢さんは話を始める前に、僕にボクシングが好きな理由を語る。

僕がボクシングを気に入った理由のひとつは、そこに深みがあるからです。(中略)人は勝つこともあるし、負けることもあります。でもその深みを理解できていれば、人はたとえ負けたとしても、傷つきはしません。人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。人はいつか必ず負けます。大事なのはその深みを理解することなのです。

 近頃、マウンティングという言葉を耳にするようになった。自分は相手より上だ!と考えるような人が増えてきている。SNS上ではこれ見よがしに自分が優れていると自慢するような投稿が多く、それに嫉妬したり、俺のほうがすごいぞ!と競り合ったりする人もいるかもしれない。そのような人は大沢さんの言う通り、深みを理解していない、意味のない人であると考える。そうではなく、自分がやりたいことに打ち込むこと、努力することこそが、深みのある生き方ではないかと思う。努力して失敗しても、努力したぶんだけの経験が蓄積されるので、意味がないわけではない。

 

人はふつう悪意よりも虚栄心によっていっそうひどい悪口屋になる

                  (ラ・ロシュフコー箴言集)

 自分を実質以上によく見せようと虚栄を張る人間こそ、意味のない生き方を送っている思う。

 

一番怖いのは人間

 大沢さんは一連の話した後、僕に向かってまた話をはじめる。

でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、うのみにする連中です自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です彼らは自分が何かまちがったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも考えたりはしないんです。彼らは自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。自分たちのとった行動がどんな結果をもたらそうと、何ひとつ責任はとりません。風向きのまま動くだけです。僕が本当におそれるのはそういう連中です

 力のある人間が非難した人間に対し、考えもせずにレッテルを貼って見縊る人々。思い込みや決めつけで判断するような連中が沢山いると、それは間違っていることであっても、数の力、外圧により潰されてしまうかもしれない。それでもその外圧に耐えて、深みのある生き方をする人こそ「強い人間」であると思う。

「僕が求めているのは、僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁がほしいわけでもない。僕がほしいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや悲しみや誤解や無理解ーそういうものごとに静かに耐えていくための強さです」

                   (村上春樹海辺のカフカ」)

 終わりに

 初めてのブログ開設だったが、自分の好きな文学作品についてアウトプットをすると、上手く言葉にできなかったことが形になり嬉しい。時間があればこういった考え方を紹介していきたいと思う。

 

 

現代文学名作選―新 読む力・考える力を高める

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海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)

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